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双極性障害(躁うつ)これまでの人生及び症状と診断が出るまで※胸糞注意

 

私は強気な学生時代を送ってきた。自分はやれば出来ると思っていたし、ダサい人間と思っていなかった。

 

 

思い返せば私が病気を発症したのは中学生。

まずは、衝動性。

 

修学旅行の自由行動でお寺や観光名所をまわる際、事前に立てた計画通りに進まなかった。

グループの子達がダラダラ歩いたりおしゃべりに夢中なのに腹が立ち、資料館の中にもかかわらず大声で怒りの言葉をはなった。

 

 

そして、友達がいなくなった。

 

 

今考えれば、完璧に計画を進めることだけではなく、楽しみ方は人それぞれなのを受け入れられるのだが・・。

 

 

 

 

高校は遠い地で寮生活。地元で進学するより一からやりなおしたかった。

 

 

高校デビューするも友人関係に悩み、高校一年生の秋に寮出。

 

朝、ゴミ出しついでに逃走。問題になり、親も同伴で7者面談(校長・教頭・生活指導・担任・副担任・親・自分)と生活指導1か月程。

 

 

その後も懲りず校則違反を繰り返す。

仲間外れが怖くて、ヤンキーになって強くなろうとしていた。

 

 

 

 

 

系列の専門学校。

朝まで勉強して追試を受けて実家に帰るはずが、寝てしまい、1日遅れて帰ることに。

門限が昼の12時などがんじがらめだったので、はやく家に帰りたい思いと不本意ながら怒られ罰が与えられるストレスが重なって過呼吸をおこす。

 

 

はじめての経験でとにかく苦しいし、どうしていいかわからないしパニックだった。怖かった。

 

 

そのとき担任が放った言葉が

 

「甘えるな」

 

 

 だった。

 

 

それからその教師のことが大嫌いになった。

 

いくら教育の為だったとしても一生忘れない。教師の一言って重いんだなあ。

 

 

同じクラスに過呼吸の子がいて、いつも都合良く過呼吸出るもんだななんて小馬鹿にしていたが、過呼吸の苦しさと自分がそうなると思っていなかった驚きで考えを改めた。

 

 

また寮出もした。 結局また友人関係が上手く行かず、学校の厳しさにも耐えられず退学。

 

ここは正直甘えが大きいし後悔している。

 

 

 

 

学校を辞めた後、当時同棲していた40歳の彼氏と訪れた旅行先で千円均一のアクセサリーショップがありお互い気に入った。

 

そのお店を自分の県でも作ろうと彼氏とアクセサリーショップをすることになった。

 

 

経営は彼氏、売り場は自分が店長。販売なんてまずやったこともないし、年上のバイトさんをまとめる技量もないし、何より売り上げが上がらない。

 

 

 

全然思ったようにいかない。

 

ある日電気のない部屋で「あーーーー」っと叫ばずにいられない自分がいた。

 

しかも数分間。このとき「ちょっと自分やばいな」と気づく。

 

 

このときは落ち込みがひどい状態。ここで心療内科にかかることになる。

 

はじめて抗うつ剤を飲んだ次の日、めちゃめちゃ気分が良いことにとても驚いた。この時19歳。

 

 

 

結局業績は悪くなり、仕事も家も同じ彼とは喧嘩が増えた。

 

喧嘩したとき、食べていない弁当を7階から駐車場に停めている彼氏の車に投げたり7階から彼氏の財布を投げたりした。

 

逆に叩かれたり蹴られたり、首を絞められて何秒か息が出来なくて、自分死ぬなって覚悟したことも。

 

裸足で逃げて、道路で過呼吸になって救急車に乗ったことも。(誰かが通報した)

 

毎晩お酒を飲んでいて暴力振るったのも朝には忘れていた。彼もストレスフルだったし、普通のイライラと躁が加速した私は相手を挑発したり過激な行動をしていた。

同時に移るものだなとも感じた。

 

 

 

そして別れた。 その後ちゃんとした仕事をしようと就活し、仕事が見つかった。

 

 

 

上司は典型的なA型の女性で、相性は合わなかった。

 

通勤途中でうずくまったり、公園で弁当を食べていた。過呼吸も一度起こした。

 

ある日その仕事場の管理者から「○○さん(私)をどう扱っていいかわからない・・・」と相談を受けたことを打ち明けられた。

 

 

結局別の問題で上司は辞めた。

 

その後社長とともに仕事をするも、色々あり辞めた。

 

このときは休んだり頑張りますって出てきたり不安定。

社長に「明日休んだらクビ。ブチッ」って電話切られたっけ・・

 

毎日過食するのが本当に苦しくて、やめられなくて地獄だった。

社長もイライラが感染して前の彼氏と同じような状況だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

この頃の心療内科の状況は、まず診断名をつけて貰えなかった。

 

診断名言う派と言わない派がいるようで、何回か聞いて「病名はない、気分障害」という事だった。

 

この時母から「躁うつではないか聞いてみて」と言われ、聞いてみたが「あなたは躁うつじゃない。僕は何年も患者さんを見ているんだ。」と怒られたようだ。(自分では覚えていない)

 

 

男の先生だったからか、過食に関してあまり取り合ってくれなかった。

 

毎回薬が出るだけの治療に疑問を持ち、薬依存症になるよりもセロトニンを吸収するようにしたり、運動したりする方が良いと考え行かなくなった。

 

このとき抗うつ剤とうつの頓服と眠剤、イライラを抑える漢方をもらっていた。 抗うつ剤とイライラを抑える漢方って、躁鬱のけあるのでは・・・。

 

 

 

 

 

 

 

一人暮らしだったので一旦は実家に帰った。

 

しかし数カ月で田舎が嫌になり、また仕事を見つけ、また一からやり直すようになった。

 

 

 

症状は悪化していった。

主な症状はイライラと過食。過食による更なる落ち込み。

 

新たな治療法としてカウンセリングに行ったり、図書館で色々勉強したり森田療法を取り入れて生活した。

 

以前よりも自分を主張しなくなった。人に恵まれ、なんとかやっていた。

 

 

 

このときついたあだ名が「ジェットコースター」。以前だったら怒ってたと思うが、信頼関係があったので、すんなりとうけいれた。

 

 

 

 

 

 

ある日、男性の新入社員が入って来た。

 

その人は以前私が来ていた稲中(おもしろ漫画)のTシャツを着ていた。

 

一気に惹かれて付き合うも、また仕事もプライベートも一緒。喧嘩が増え、また上手く行かなかった。

 

喧嘩の度反省して、ワークシートに記入したりしてたんだけどな。。

 

この人は真面目なA型で、メンタルが良くないことは伝えていたものの、私の暴言を受け流せず、お互い疲れたし傷ついた。

 

2人ともたくさん泣いた。私の方が悪い。うやむやなまま新しい彼女が出来たようで、鬼電。

着信拒否されたので怒りの感情が止められず、家に行ってドアに卵をぶちまけた。

一緒に使ってたコップを割ってバイクの上に置いた。(家を出るとき包丁はやめとこうと冷静な自分もいた)

 

 

 

 

次の日警察に言う会社に言うで怒り狂ってたが、丸く収まった。

 

自分はいつか犯罪を犯すのではないか、犯すこともありえるかもしれないとはじめて思った。

 

 

失恋のショックは相当こたえた。1か月後くらいにはなんとか立ち直った。

 

しばらくしてから元気のでない・しんどい日が続いた。

 

理由はなかった。

 

 

このときは、怒り狂っていた時の反動ではないかと思っている。

気分が沈んでいて、なにより体が重い。おっくう。

 

医療従事者だというのにお風呂を入らずに仕事に行く日もあった。入れなかった。

 

 

やる気がないなら帰れと言われ、帰った日も。

 

 

直属の上司から言われた。「はっきり言って迷惑。」メンタルクリニックに行った方が良いと促された。

 

 

ショックだったが、これまでよくしてくれた人たちにこれ以上迷惑を掛けたくないと思い行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

過食に悩んでいたので過食も見ている病院にした。

カウンセリングも受けられるので結果的にとても良かった。

 

 

問診の後、

「躁うつですね」

 

「私が?!!」病名は知っていたがまさか自分が躁うつだと思ってもみなかった。

 

自己診断では、境界性パーソナリティー障害かなと思っていたから。

 

 

たまに散財とか思い切ったことをするのは性格だと思っていたから。

 

 

 

問診表にジェットコースターとあだ名が付けられているのにピンと来たようだ。

 

 

 

最初の診察からここまで8年。

最初の症状から約15年。

 

 

 

正直、もっと早く治療していたらと考えて病まない。

 

 

 

この後も結局やらかして現在に至るのだが、

今は躁状態改善のお薬を飲みだしたのできっと良くなって行くだろう。

 

自分の生き方をまだ、模索中である。

 

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